« 本に読まれて | トップページ | スキニービッチ »

日本語が亡びるとき

『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』水村美苗(2008年10月)筑摩書房

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

長編評論。

この本の主張を全否定する人も多くいるようだが、私は、単純に素晴らしい本だったと思う。第2章の導入部で、完全に水村ワールドに捉まってしまった。~1800年頃、世界でもっとも尊敬されていた<国語>は英語ではなくフランス語であった。フランス語を話すのは、イギリス人を含め、ヨーロッパ人の教養の重要な一部だとされ続けていた。しかし、第2次世界大戦後、アメリカのGDPが世界の約半分を占めだしたころから、文化の中心はヨーロッパからアメリカへと移り、フランス語より英語のほうがよほど重要になってしまった。~

<普遍語><現地語><国語>の3つの概念で、日本近代文学からインターネット時代まで、本論が展開していく。

ぞーっと背筋が寒くなったのが、「グーグル・ブック・サーチ・ライブラリー・プロジェクト」について。~アメリカとイギリスにある5つの主要な図書館の蔵書をすべてデジタル化して読み取り、1つのデータベースを作るプロジェクト。そんな途方もない大図書館がポケットの中のipodにすべて入り込んでしまう時代が、もうすぐそこまで来ている。しかし、この大図書館には、「すべての言語が入る!」と英語を母語とする人たちは無邪気に鈍感に語っているが、英語で書かれた図書館だけが、もっとも充実した図書館になっていくのは当然である。~

日本語しか読めない私は、いったいどうしたらいいのだろう?

日本語が亡びる運命を避けるために何をすべきか。

~それは、凡庸きわまりないが、やはり「教育」だ。国民全員総バイリンガルになるのを目指すのは必然性がない。一部の国民が世界に向かって一人の日本人として、英語で意味のある発言ができればよい。そこまでのレベルにいくのは並大抵のことではない。優れたバイリンガルが十分な数で存在するのは、この先日本にとって絶対に必要なことであるが、それには少数の選ばれた人を育てる以外には実現のしようがない。だから、英語教育はここまで、という線引きをして、それよりももっと日本語の勉強をするべき。それしか日本語を護る道はない。~

この本を読んで、英語が読めるようにならなくては!という危機感を覚えましたが、それよりもまず、夏目漱石の『三四郎』ほか、近代日本文学をいろいろと読み返さなくてはと思いました。

|

« 本に読まれて | トップページ | スキニービッチ »

01.読書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1106715/27671327

この記事へのトラックバック一覧です: 日本語が亡びるとき:

« 本に読まれて | トップページ | スキニービッチ »