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地図のない道

『地図のない道』須賀敦子(1994)新潮社

NHKの「私の1冊日本の100冊」という番組の中で福岡伸一さんが取り上げていた1冊。短いエッセイが2本、収められています。(録画しておいてくれた友人に感謝!)

そのうち、「ザッテレの河岸で」が紹介されました。

「美しい文章を書く人が、美しいと思う文章」ということになるで、とても興味深い。

確かに美しかった。福岡さんの文章に似ている。

ヴェネチア娼婦の歴史についての取材ルポなので、内容には特に興味がありませんでしたが、スルスルっとその世界観に引き込まれ、非常に読みやすく、著者の静かな語り口に触れて、60代になったら、須賀さんのような「温度」でモノを見、語ることが出来るようになりたいと感じました。

そして、まさに今、私が体験していることを、須賀さん流に語られていて、驚きました。

まるまる1ページ、長いけれど、何度も読んで覚えていたいので引用します。

デジャ・ヴュというフランス語を最近、雑誌などでよく見かけるようになったが、どこかそれに似てなくもない現象に出会って、愕然とさせられることがある。それは、たとえばこんなふうに起きる。本を読んでいて、あるいは散歩の道すがらなどで、ぐうぜん目にはいった事柄について、それまでは考えてもみなかった疑問をおぼえたり、興味をそそられたり、感動を喚び覚まされたりすることがある。対象は本ぜんたいであることもあり、その一部分であったり、ときには、ぐうぜん通りかかった道の名にすぎないこともある。ここまでは、だれでもに起こることだろう。しかし、私の場合はそこで終わらない。それはこうである。本で読んだり道で見たりしたその瞬間には、あ、そうか、ぐらいで済むのだが、どういうものか、それからまもなく、たとえば数日とか数時間、ときには数週間をおいてから、こちらの意志とはまったく関わりなく、ふたたびおなじ事柄に別の本のなかでばったり出会ったり、それが人との会話に出てきたりして、自分ではほとんど忘れかけていた興味なり感動なりが、再度、喚び覚まされるのだ。しかも、それが一度とはかぎらないで、くりかえし、おなじことが起こる。ぐうぜんといえばぐうぜんなのだろうが、こちらがそんな経験をもったことを知っているはずのない人から、その事柄についての本をもらったり、こちらが訊ねもしないのに、そのことが相手の口にのぼったりして、えっ、どうしてなの?と驚く。まるで物事の背後に目に見えないネットワークとか電線がひそかに敷かれていて、それがこちらの興味のおもむく方向を本人である私の知らないまに把握し、支配しているのではないかと疑ってしまうほど、なんともいえない奇異の感に打たれるから、「知識は連なってやってくる」といいたくなるほどだ。どこかで陰謀を練っているヤツらがいるに違いない。

ちょうど今、そんな感覚を味わっている最中だったし、今まで何度も経験してきました。「知識は連なってやってくる」は、言い得て妙でした。連なって知識がやってきはじめたら、目がとまるし、面白いし、つかんで拾って、よく考えて、ノンストップです。誰か私を止めてください状態になります。

普段、なんとなく感じていたことを、美しい文体で的確に表現してくれる。読んでいて、心躍る瞬間でした。

地図のない道 (新潮文庫)

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